今日は、本の感想です。
ちょっと興味があったので「信州地名の由来を歩く」を読んでみました。
私の暮らす地区に関係した事柄をみても
・信濃国府が上田から松本へ移転した理由
・佐久間象山のこと
・真田三代と2つの上田合戦
など興味津々でした。
ここ、「東ノ手」は上田市の神科(かみしな)という地域の一角ですが、以前にはこの辺りに信濃国府があったのではないかという説があり、「東ノ手」という地名も信濃国府の東側にあるからだということを聞いていました。相対する西側の地区は「西ノ手」といいますから、ロマンを持って信じています。
その当時(20年位前だと記憶)、この近辺は今以上に田畑以外何もないところだったので盛んに発掘作業が行われていましたが、あまり大きな成果は出なかったようです。
約3Km程離れて「信濃国分寺」があるので、こういうロマンある話も悪くはないのですが、結局のところ信濃国府がどの場所にあったのかは謎のままのようです。
松本へ移転した理由は本書をお読みいただきたいと思います。
「信濃の国」の由来は「科野国」と言われ、シナの木から来ているらしいとの説があるのですが、著者は県内の地名には「科(しな)」「級(しな)」などシナという文字の入る地名が多く、地形説として「階(しな)」というのもあるそうです。
そう言われてみれば、更級、埴科、明科、豊科、蓼科などの地名が多く、私の住む地域も神科ですからなるほどと思いました。
著者による「信濃」の由来は「階段状に連なる山々の野」という解釈には納得しました。
神科の東側には神川という千曲川の支流が流れていますが、菅平のてっぺんにある四阿山という山に神が宿るとされてそこから流れてくるので神川という名前になっているようです。
だからと思うのですが、神科という地名にもガッテンしました。
また、神川は真田が当時無敵だった徳川軍に勝つための地の利として活用された川です。
佐久間象山についてはあまりにも有名ですが、象山は弟子の吉田松陰の密航事件で松代へ蟄居を命じられる以前は、上田に親戚があったことからも馬で峠を越えて度々来ていて、上田藩の医者に蘭学を教えたり、天然痘の種痘を指導したりしていたと聞いていますから当時のこの地区の医療レベルはだいぶ進んでいたのではないかと思います。
私は、象山を「ぞうざん」と読んでいましたが、それはそのように教育を受けたからであって、「しょうざん」が正しいそうです。この詳細も本書をお読みください。
そして、真田一族です。これもあまりにも有名で今や戦国武将人気トップクラスですが、相当に作られた話も多く、ロマンだけが勝手に広がっていますので一応真実とされることはきちんと認識しておきたいものです。今年のNHK大河ドラマは黒田官兵衛でスタートしましたが、それはそれで楽しみではあっても、真田一族の話は池波正太郎の「真田太平記」に代表されるように確かに面白いのです。
そんな真田の歴史が我が地元にあったこともとても嬉しく思います。
シナの国、長野県は縦に長くとても広いので県内の端から端へ移動してみると同じ県とは思えないことがあります。実際、長野、上田、佐久、松本、諏訪、伊那と地域によって言葉や風習も違います。長いこと山の隔たりがそうさせたのかなと思っていたのですが、著書ではどうやら「多民族国家」であったということです。
これも信州各地区の方々とのお付き合いでなんだか納得できる次第です。
他にも、善光寺の謎や諏訪は独立国家だったとか読み応えのある本です。
子供の頃は、長野県は山の中で田畑ばっかりでつまらないと思っていましたが、こんなに面白いシナの国に住んでいることを誇りに思っています。