早朝6時半から7時頃までの時間帯!
この頃は近くのコンビニまで行って産経新聞とコーヒーを買って帰るのが日課です。
歩く距離は往復で1.2キロ程度にて身体を目覚ませる程度!
自宅では地元新聞を定期購読してますがローカルすぎて少し物足りないので他紙も読んだりしてます。
いよいよ北方領土問題に注目が集まります。
双方の言い分をどこで落ち着かせることができるのか?将来につながる結果を期待してます。
午前は朝1番で菅平パインビークにてスキー!
スタートが早いだけにゲレンデは空いてました。
それでも次第に混み始め他のスキーヤーとの接触に気を使う場面も、、、
いよいよ、13本目の滑りで足腰も疲れてきて今シーズン8回目のスキーにして初転倒!
しかも恥ずかしいことになかなか立ち上がれないから若い人とは違う自分を痛感しました。
怪我を意識してスピードは抑え目だったとはいえ、滑りに慣れて来たこの時期だからこそ危険と判断して今日は終了!
その後、下界に降りてからこの頃営業を開始したジャズ喫茶「A列車」に立ち寄って読書をしながらうたた寝、、、、
目で文字を追っているうちに臨場感溢れるサウンドに耳が傾き睡魔が、、、
スキーの疲れもあって心地良かった!
スポーツと音楽と読書の休日を満喫し、こんな日はそうあるものではないなと思うのでした。
ゲレンデ到着は午前8:30頃!
今季最低気温−23.9度を記録した菅平の朝でした。
寒いと分かっていたので特に問題はなし。
景色が綺麗で気持ちが良い。
雪質も良好でした。
怪我だけはしたくないので年齢相応に緩斜面のみのスキーです。
3時間券が大人¥3,000のところ65歳以上のグランドシニアは¥2,000でした。
スラローム大会が開かれていてそれなりに人はいたものの、平日だから一般スキー客は少なく、リフトもガラガラでした。
今シーズン7回目のスキーでしたが、ゲレンデ滞在時間を含めても往復3時間コースですから地元の利をありがたく使わせてもらってます。
スキー場への道は滑りやすく運転は慎重になりました。
帰り道では菅平口の信号手前で横転したクルマがあり警察の方も来ていました。
自分の車も多少お尻を振る場面もあったので凍結路面の下りカーブは怖いです。
年末でもないのに、気忙しい!
職場ではスタッフが体調崩して休んだりで何かと通常通りではない日もあったりと落ち着かない。
でも、嬉しい事に2番目の孫も誕生した。
上の子が1歳半だから目が離せない。
そんな事もあるから気忙しいのは当たり前なんだけど心理面が動揺するから人間としてまだまだ修行が必要なのか?
そう、今の状況が修行なんだろうなと思うのです。
そうは言っても仕事も生活も何とか回っているから、有難い限りです。
イヤイヤ!気忙しいですな!
先に結論から
①身体を冷やさない
②充分な睡眠
③適度な運動
④頭を使う
⑤マイナスな考えは捨てる
⑥人に感謝し好きになる
⑦食べ過ぎない
他にもあるでしょうが、どうでしょうか?
当たり前といえばそれまでですが、こういうことが中々難しいと思うのです。
毛細血管にまで血行がよくなり自律神経が安定することが基本で、なおかつ心理面に影響するお腹の調子も非常に大切となります。
仕事やストレスに追われて上記の事が慢性的に崩れてきても、降りかかる火の粉を若さで吹き飛ばしていた過去の自分を思い出します。
貝原益軒や水野南北はこのような事を言っていたのかもしれません。
前期高齢者として自分なりに納得した健康に良い事をまとめてみました。
実は自分には新でも古道なんです。
以前からあの場所は元々は道だったと思っていましたが草が伸びてとても立ち入ることは出来ませんでした。
秋の一斉作業で地元の自治会の方が草刈をしてくれたようで、まだ荒れてはいましたが歩く事はできました。
でも枯枝が足に絡みついたり蜘蛛の巣が顔面直撃などプチインディジョーズ感を味わいました。
どこに辿りつくかな?と歩みを進めると、時々立ち寄る笹井神社につながりその先は水路があって行き止まりでした。
そういえば昔からの道を歩道として復活させる構想を聞いたことがありましたが所々宅地化していてどうも連続性に問題があり残念な事になってます。
さらにこれらの道の周辺にお墓があるため地元の方にはとても大切な場所でもあります。
観察してみるとお墓のある所は人が訪れるから道は生きてますが、お墓も設置できないような斜面が急な場所は次第に人が通らなくなって荒れ果ててしまったと思われます。
今年は稲を刈って干す、ハゼかけの光景が減って、コンバインの使用が多いようです。
天気の良い秋晴れの下で家族総出で刈り取りという伝統的な光景を見かけません。
猛暑で稲穂は重くなり台風の影響で作業が延期になるなどからコンバインにお任せという農家が多いらしい。しかも減反が廃止された今年は昨年まで休んでた田も稼働してるから余計大変なんでしょう。
普段会社勤めで兼業という農家も多いので高額なコンバインは農協などに依頼する事から順番待ちの所が多いと聞いてます。
リンゴや柿も大量に実がなっていて雑草のボリュームもたっぷりあるから例年の秋の景色とは異なっている。
でも、災害にあっていたらこうはいかないことを思うと複雑な心境です。
地場産業としての農業が衰退しないためにも何らかの対策が必要だといっても近年の災害を見れば畑や住宅をそして大切な命を守る事は自然の猛威の前に人間は全く無力です。
防災対策の不備から人災という話もありますが昔なら家を建てなかった危険な土地にも開発が進められた問題こそが本質だと思います。
豊作な秋を見るにつけそんな事を感じます。
大空を自由に飛び交う鳥!可愛い小鳥達!
何故鳥がいるのか?
いて当たり前だからこれまで考えもしなかった。
以前から聞き及んではいたが、彼らが恐竜の子孫であると思うと鳥を見る目が変わった。
発掘された化石から分かる事だとしても、そもそもあんなに大きなさらに非常に多種にわたる生物がこの地球にいた事が不思議でならない。
最近はまだまだ新種が発見されているとのことで研究者の方が様々な推測をしていて中々楽しめる。
恐竜の名前が覚えられないほどたくさんの種類がいて、その中からどのように今日の鳥類までたどり着いたのか?非常に興味があります。
今、読ませていただいている「鳥類学者無謀にも恐竜を語る」〜川上和人 著はとても面白い本です。
この頃は鳥を見る度にどこに恐竜の痕跡があるのか?などと観察してしまう私です。
以下、稲の実り、コスモスと秋の雲
縄文ブームに乗せられて関連本を購入したりネット情報を見たりしています。
縄文時代の謎は多く中々面白く興味津々です。
知人にも会えばこの話題にしてしまう迷惑な自分に反省です。
昨日、玄関前にて狩猟中のカマキリの顔が土偶に似てたので、土偶製作した縄文人は目にする自然の造形を採用したんだろうなと思いました。
ただカマキリに似てるというだけの話にてあまり内容はありませんが、、、、、
1万年続いたこの時代に文字は無かったとされていますが土器に描かれた紋様がバーコードのような情報ではないか?と推測する研究者がいます。
岡本太郎は火焔型土器や土偶のデザインに強い影響を受けていた事も納得です。
縄文人のファッションもかなりオシャレだったのではないか?などワクワクする情報がたくさんあります。
また稲作は弥生時代からという説もすでに縄文から始まっていたなど昔に習った事が覆る話もやはりそうなんだろうなと思うのです。
縄文があったから今の日本があると思えば益々興味が湧きます。