この1週間、不幸な事件が多かった。
ニュースを見ていても、残念な気持ちともう少し何とかならなかったの?という思いが走ったが、当事者にしか判らないことの方が多いのであろう。
実際、ニュースにならない事例もあるのであろうし、そんなこと考えるとこの世から事件や事故がなくならないのも仕方がないことかと思ってしまう。
自分がその当事者や関係者になりたくないのはもちろんであるが、今日も自分の近辺は無事に終わったという安堵感との比較対象になっていることも事実である。
人間の感覚は変わる。昔、同様なことで安堵していた基準と今の基準は違うと思う。それを思うとまた怖くなる。
でも、イラクで起こっている不幸や世界の事件をみるとまだ日本はましだと思う反面、水面下でどんな恐怖が押し寄せているのかという不安もぬぐい去れないが、どうやら凶悪事件の質は世界でも一流になってきてしまったようだ。
不幸な出来事を防止するために、規制がかかりすぎるのもいたしかたないことではあるが、報道のあり方も気になる。でもその報道がなかったらこんな文章を書くこともできないし、いったいどうしたらいいのであろうか?
人類は常に直面する問題を抱えながらここまで進化してきたわけだから、永遠の課題でもある。
救世主の出現を望むしかないのであろうか?
やはり自分の家族、知人、そして地域を大切にする心が基本なのだと改めて認識する次第である。