東ノ手から

信州上田市の東側にある神科(かみしな)台地。さらにその東側にある「東ノ手」近辺からのブログです。

坂口安吾「堕落論」に思う

人は正しく堕ちる道を堕ちきることが必要なのだ。そして人の如くに日本もまた堕ちることが必要であろう。堕ちる道を堕ちきることによって、自分自身を発見し、救わなければならない。政治による救いなどは上皮だけの愚にもつかない物である。」〜坂口安吾堕落論」より
 
これは、堕落論の最後に書いてある文章の一部です。どんな人でも必ず堕落するものだけど、堕落の仕方を誤ることなく、正しく堕落しきることで自分を見つめ直し、次なる対策を組み立てなさいといっているのです。
 
先日91歳で亡くなられた小野田元少尉も、日本がそして日本人が堕落していることを嘆いていたとのことですが、フィリピンで30年間も孤独な戦争を続け、その後帰国した小野田さんには、我々には見えない堕落が見えていたのだと思います。
 
自分自身も、生活習慣も悪く、姿勢も悪く、字は汚字の上に漢字や用語を知らない、節電やエコに対してはエゴ、部屋の整理ができていない等で、もう堕落しきっていますから大いに反省しております。
 
しかし、坂口安吾の云う堕落はそういうことではなくて戦争というあの偉大な破壊の中で様々な運命はあったが、国民に堕落はなかった。とにかく無心で充満していたにもかかわらず、敗戦となった後は兵隊さんは闇市へ戦争未亡人も新たな出会いへと変わってゆく様は仕方がないことでそういった道筋上での堕落であれば正しい堕落ではないかとしています。
多くの人がそこで自分自身を発見したからこそあの驚異なる復興を実現出来たということになると思います。
 
こういった姿勢をもっと見習わなければと思うのですが、それは個々の中で自分がどう堕落して、これからどう生きてゆくのかを自問自答するしかないと思います。
 
個人レベルから離れますが、今の政治やマスコミのあり方にはどうも悪い方の堕落部分があるのではないかと思います。世の中を生き物みたいに考えれば、とてつもない化け物でもあり、結局この生き物を動かしているのは人間と自然現象です。
どこに病気があってどう治療すべきか?これだという診断と治療計画が必要としても、思ったようにならない現実もあります。歴史をみても人間はこういったことを繰り返してきたのでしょうから、今だに占いに頼っていることになりかねないような気もします。
 
私たちが情報を正しく知りたいと思っても、情報が多すぎて整理がつかなかったり、勉強不足も手伝って理解できなかったり、立場が違う人たちの議論もまとまらない。そんな中、報道機関が情報を扇動したり捏造したりという懸念もありますが、このニュースは商売になるという臭いが先行して報道の質が堕落しているのではないかとも感じています。
坂口安吾が提唱するが如くそして小野田さんが危惧した如くはたして日本の堕落度とその質はどんなものであるのか?
それとも、けっこう健全であるのか?
凡人なりに情報の目利きになるしかないのでしょうが、良き方向に向かって欲いと思います。